指定自立支援医療機関(精神通院) 生活保護法指定医療機関
マンションの一室の小さなクリニックです♪
土日・夜間診療
指定自立支援医療機関(精神)
生活保護法指定医療機関
マンション一室の小さな診療所です♪
心の健康 三条
等身大の自己を
受け入れる
 

「このままでいいのだろうか」、「こんなはずではないのだが」と、ため息を漏らすこともたびたびでしょう。理想を高々と掲げ続けて、自信喪失にくれてしまいます。一転、首尾よく結果をはじき出し、讃辞を浴びたとたん、「してやったり」、「我ここにあり」と、誇らしげに周囲を見渡したくなったりもします。
 
いずれも、うつろいやすい「他者の基準」に翻弄された姿です。

 Y. Suzuki with AI

 
偏差値教育、業績至上主義、過当競争と、他者の“杓子定規”をあてがわれることに、慣れきってしまいました。ひょっとすると、幼いころから被り続けた親の期待やしつけで、未だにがんじがらめになっているのかもしれません。
 
いつのまにか“刷り込まれた”理想像を希求し、かつて親や教師、上司たちが言い含めてきたように、自らも「等身大の自身」を、取るに足らぬと見下してしまう。また、他者を一瞥し、自身と優劣を判ずることに明け暮れ、自信と自慢を混同してしまう――。不全感にくすぶってしまうのも無理ありません。
 
「他者の基準」に蝕まれた理想像を、本来の自身であるかのように錯覚して、苦悩にあえいでいませんか。「等身大の自身」こそ、本来の姿です。
 
結果の高の評価は他者に任せるにしても、結果を生むまでの道すがら、時に逡巡し、創意工夫した自己の営みこそは、「やれるだけはやった」と、評価の首座を他者から取り戻しましょう。
 
満身創痍の「等身大の自身」を、無条件に受け入れ慈しみ、たとえ些細に思えたとしても、既にできていることを列挙し、自己評価して積み重ねる習慣こそ、自信を涵養します。

心の健康 四条
自己をみつめすぎない
 

「何に打ち込んだらいいのかわからない」、「自分は何者か」とゆらめき、“自分探し”に明け暮れたところ、年来、くすぶり続けてしまいました。「生きる目的とは何か」と懊悩しても、しょせんは、答えのない問いでした。「問い方」を間違ってしまった、とも言えましょう。青年期に一度は踏む轍です。

Y. Suzuki with AI

 
「目的」や「意味」は、人為的に意図して与えられるものです。もし、人間の生き方に「目的」や「意味」があるとしたら、人間に「目的」や「意味」を与えることのできる、超越した「何者か」が存在しなければならなくなります。宗教や占い、物語の領域です。
 
「論理」や「因果関係」は、前提条件や定義を与えられ、あらかじめ限定された領域でのみ成り立ちます。前提条件や定義にまで論理を適用しようとすれば、自己撞着に突き当たります。突き当たった先で論理は崩れ、「価値観」があるばかりです。価値は百花繚乱、人それぞれで、論理は無用です。
 
自らの責任で、ひとつの「価値」を信じて選び取り、没頭したところに、「さあ、これでよし」という、その人ならではの絶対性が帯びてこようというものでしょう。前提もなく、のっけから絶対的価値を論理で正当化しようものなら、全体主義的な信仰に直入してしまいます。
 
先哲たちの幾世紀にわたる煩悶をなぞるにつけ、「生きる意味」は、人それぞれが価値を選び取ることで自らに与えるのであって、全人類に初めから包含されているわけではないのだと、つくづく知らされます。
 
もっとも、“闇の底”で悲泣するばかりに陥った時、もっともらしい言説など受けとめられようはずもなく、いよいよ「絶対の物語」に救いを求めずにいられなくなりましょう。世界保健機関が健康の定義に新たに加えるべく提案したまま、保留状態となっている「霊性」が、そこで初めて、個々の場面で復権する、とも言えるでしょう。
 
また、昨今、健康増進のかけ声に駆られて、健康になること自体が目的となってはいないでしょうか。自身の心身を過剰に気遣い、結果として、微妙な不調をことさらにあげつらい、また、自然の摂理である老化を忌み嫌い、情報に踊らされて混乱し、不安を招きかねません。
 
心身は働かせてこそ、です。健康指向に行き詰ったら、「問い方」を変えて、健康に“生活する”には、と思い巡らせてみてはいかがでしょう。きっと、「当たり前」に行き着きます。


Copyright : Y. Suzuki All Rights Reserved.
Mail:bashamichisuzuki@gmail.com
TEL:080-4320-3355