「生きる意味」に答えを出そうと悩み、自身を託すに足る道を希求したところで、理想像ばかりが膨れ上がり、ますます等身大の自身が陳腐に映り、「生きる意欲」を失ってしまうのがおちでしょう。「生きる意味」を探求した結果、「生きる意欲」を失ってしまったら、本末転倒です。
現実の等身大の自身こそ、困った時に立ち返る“原点”です。心強い“味方”です。
「世の中は食うて稼いで寝て起きて さてそのあとは死ぬるばかりぞ」(一休)
一休語録になぞらえば、愚直に生活してこそ、です。次のように換言できるでしょうか。
寝て起きて、食べ排泄して、入浴し、人とつながり、働き、遊ぶ。
あとは「おまけ」で、“自己実現”(壱)。
自己実現ですら、人とつながり、互いにかけがえのない役割を演じ合う中で、いつのまにか立ち現れるものでしょう。のっけから、探して得るような代物ではありません。
付加価値という「おまけ」に、目がくらみやすい浮世です。

Y. Suzuki with AI
未来に備えようと躍起になれば、不安に駆られ、過去を顧み過ぎれば、昨非の深みにはまって、後悔に暮れてしまいましょう。
「他者の基準」にむしばまれた理想像に圧倒され、等身大の「いま」の自身に心もとなさを覚えずにいられず、“一発逆転”を夢想したり、待ち受ける“張り子の虎”にいたずらにおののいたりする。また、理想をかなえられなかったと、過去をあげつらう――。「いま」を見失った先は、自ら放った不安と後悔が錯綜する、虚構の迷宮でした。
労を厭いながら、理想を一発逆転で成就できると思い込む、稚気に満ちた虚勢や、自ら膨らませていたに過ぎない“張りぼて”に、そうとも知らずにおののいていた滑稽。過ちを悔いたかにみせて、実のところ、今負えるはずの責から目をそらしていた狡猾に、我に返って気づき、苦笑できたら、しめたものです。
ありのままの「いま、ここ」こそが、迷宮の出口です。
「いま、ここ」を実感する手始めに、妻や夫、子、親や兄弟姉妹、そこここの仲間たちに、駆け寄って声をかけ、先手で笑顔を誘ってみてはいかがでしょう。
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